…2…

 


 

 わざと照明を落とした、薄暗い、静かな通路を、水を滴らせながら意気揚揚とネプチューンは歩いている。自然ともれる笑みを隠そうとして失敗し、不自然な顔になってしまった。
「楽しそうですね。任務は成功したのですか?」
 照明が届かない通路の曲がり角から、不意に声が響いた。ネプチューンは声がした方を見やり、今度は隠そうともせず笑った。
「ははははは。嫌、任務は失敗だ」
「失敗?それなのに何故笑ってるんです」
 声は咎めるような口調になった。
だがネプチューンは構わない。
「俺に説教をしている時間はないぞ。一刻も早くこの基地を放棄し、他の場所へ移転するからな」
「移転…―――仮面ライダーにばれたのですか…?」
「察しが良いな。その通りだ。愚図愚図せずに準備にかかれ」
「…了解」
 声は―――途中から聞こえにくくなった―――言いながら踵を返したようだ。
「ああ、それから―――」
 遠ざかっていく足音を聞きながら、ネプチューンは聞こえるよう、少し大きめの声で言う。含み笑いをしながら…。
「Xライダーがいるからな、十分気をつけろよ」
 足音が止まる。
「俺は総司令に御報告する」
 と、ネプチューンは突き当たりの部屋へと姿を消した。
「Xライダー………敬介さんが…」
 通路に立ったまま、声―――水木涼子は呟いた。

 

 

      *      *      *

 


「涼子さんはオヤジの助手をしていた。人間工学なんていうモノを研究してたから、大学内でも学者仲間からもはみ出していたオヤジにしてみれば、涼子さんは数少ない理解者で心を許せる存在だった…」
 漁師から借りた船の舵を取り、目的地に向かいながら敬介は続ける。
 辺りはまだ暗い。
「俺が久しぶりに沖縄から帰って来た時には、オヤジは【GOD】に狙われていた。身の危険を感じたオヤジは海の近くの洞窟に身を隠し、【GOD】と戦う準備をしていた。その場所を知っていたのは涼子さんだけだった。事の事情を知った俺は、オヤジと共に【GOD】と戦う事にした。―――ところが…」
 冬の海。
 冷たい潮風が肌を刺し、波の音が辛い記憶を呼び覚ます。胃がよじれるような感触に敬介の顔が曇る。
「涼子さんが裏切った…。オヤジが俺に渡した特殊防弾チョッキを薬品で溶かし、オヤジの隠れ場所を【GOD】にバラした。結果、オヤジは死に、俺も人間ではなくなった…」
 あれ以来、敬介は海を見るたびにその事を思い出す。自分を睨む涼子の瞳。父の遺体が海の藻屑と消えた瞬間。それから「人間じゃない!」と人に罵られた事も―――。
 船の先端で前方を見ながら話を聞いていた茂が、重々しく口を開く。
「…もしかして、ネプチューンの時、それもあったからあんなに取り乱したんすか?」
「そうだ…」
「じゃ、…『霧子さん』は?」
「霧子さんは、涼子さんの双子の妹だ」
「え!?」
 流石に驚く茂。敬介に振り向き、その顔を覗き込もうとする。が、茂の位置からでは無理だった。
「どうゆう―――」
「俺もそこら辺は良く分らない。ただ、霧子さんが言うには、涼子さんが彼女に俺を守るよう頼んだらしい。そして今でも…」
「今でも?」
 言いよどむ敬介を促す茂。
 敬介は暫らくためらった後口を開いた。
「涼子さんは今でも―――俺の婚約者らしい…」
「婚約者!?」
 巣頓狂な声を上げる茂。敬介は頷いて肯定する。
「ああ、二人で幸せな家庭を作る事が、密かな俺の夢だったよ…」
 それはもう叶えられる事の無い夢…。
 例え、涼子が今でも敬介の婚約者であったとしても、深海開発用改造人間となってしまった今の敬介に結婚は出来ない。法律的に出来ないわけではない。敬介の心が結婚する事は駄目だと叫ぶのだ。
(…オヤジ。俺はまだ誇れる男になれてない…)
「茂。そろそろ軌水丸が難破した海域だ。用意は良いか?」
「いつでも!」
 力強く答える茂に、決心した表情を向ける。敬介は大きく息を吸い込むと船のエンジンを切り碇を下ろした。
 敬介は甲板に出、茂の近くに立った。
 精神を統一すると、右腕を左上に伸ばし、次に右上に左腕を伸ばしクロスさせた。そして、腰部に現れた変身ベルトの左右に取り付けられた、レッドアイザーとパーフェクターを取り、空へ掲げた。
「セタップ!」
 掛け声と共に敬介の体が光に包まる。夜の海に一筋の光明。その光が納まる頃には、神敬介は仮面ライダーXに変わっていた。
 Xライダーは茂に目をやった後、甲板に積んだ―――漁師が顔を青くさせながら乗せるのを拒んだ―――愛車・クルーザーに跨った。
「気をつけて」
「ああ。後は頼む」
 クルーザーは船から飛び出し、海の中へと潜っていった。【GOD】の秘密基地を目指して…。
 海の中は当たり前だが暗かった。クルーザーのライトに照らされた所とその周辺が僅かに分る程度だ。それでも、海底に近付くと、明らかに人工的に作られた入り口らしき扉を発見した。と、言ってもあらかじめ教えてもらわなければ見逃しただろう。Xライダーはゆっくり近付き、静かに基地の中に侵入する事にした。
(どこに攫われた人達が捕らわれているか分らないからな)
 基地内は慌ただしい雰囲気に覆われていた。霧子の話から考えると、まさに今、『引越し準備真っ最中』なのだろう。
 所狭しと動き回るGOD諜報員に見つからぬよう、Xライダーは空気控の中を移動する事にした。
(…思ったより小規模な基地だな…)
 通信室・ロッカールーム・トイレ・台所等々…。牢屋―――もしくはそれに近い部屋を探してXは這いまわった。
(くっ…なかなか見つからない。早くしなければ…。…ん?)
 Xライダーは改造人間故の驚異的な聴力で、とある部屋から聞えてきた話し声に気付いた。何故かその話し声が気になったXは、それを頼りに聞えてくる部屋を捜す。
 程なくして見つかった部屋は、基地の中心部―――動力ルームだった。モーターが唸りを上げている。
 上から中を覗いてみると、GOD諜報員が二人、話しているのが見えた。
「…よし、これでOKだな」
 しゃがんで何か作業をしていた方がホッとした様子で言う。
 その後ろで立っているもう一人の方が苛立ちながら、
「一息ついている暇はないぞ。やる事はまだまだある」
「分っている。しかしもったいない話だ。仮面ライダーに気付かれたからって、せっかく建設した基地を爆破させるんだからなぁ…」
(爆破!?)
 考えられない事ではなかった。嫌、むしろ今までを振り返ればそう考えるのが自然だろう。しかし、基地を爆破させられては困る。
「とにかく急ごう。爆破予定時刻までそう時間はない」
「そうだな」
 動力ルームを出て行こうとする諜報員二人。その背後に、Xライダーは飛び降りた。
 驚き、それでもこちらに攻撃を仕掛けてきた諜報員達をたいして音も立てないまま悶絶させると、Xライダーは諜報員が爆弾を仕掛けたであろう箇所を覗き込んだ。
「………これか…」
 動力ルームの機器の一つにそれは取り付けられてあった。一目見て時限式だという事は分った。問題は…、
(私がこれを止める術を知らないという事だな…)
 赤いデジタル時計の文字が刻一刻と小さくなっていく。残り時間―――
「そこまでよ」
 ガチャリ、という鈍い音と共に、凛とした澄んだ声がXライダーの聴覚を刺激した。動きを止め、Xライダーはその声を飲み込む。
 動力ルームの入り口から人が少しづつ近付いてくる。その気配を足・腰・背中・後頭部で感じるX。
「―――涼子…」
「動かないで」
 振り向こうとするXに警告する声―――GOD工作員・水木涼子。Xに向けて突き出した涼子の手の中で、物騒な《獲物》が鳴いた。
 Xライダーの左側の床が小規模な爆発を起こす。
「…………」
「いくら仮面ライダーと言っても、この弾丸に当たればただではすまない。動かないで」
 ゆっくりと、弾丸が当たった箇所から煙が上がる。ドアから入った風にそれが吹き飛ばされると、床に数cm穴が開いているのが見えた。
 確かにただではすまいだろう。
「…………」
 当たれば。
「!?」
 Xは床を凹むほど強く蹴ると、左へ飛んだ。まだ空中に漂う煙にXの身体が少しだけ隠れた。
 しかし、それで充分。
「なっ!」
 一瞬涼子の反応が鈍った。Xを見失ったのだ。涼子が《獲物》を身体に引き寄せ、動力ルームの中に目を走らせようとした所で衝撃が彼女を襲う。
「あっ…」
 涼子の両手に痺れるほどの痛みが広がる。《獲物》が床に無機質な音を立てて転がった。自然に止まる前に、Xにより踏みつけられる。
 X―――嫌、変身をといた神敬介は涼子の手首を掴み、彼女の瞳の中を覗き込んだ。
「……っ」
(…あの時と一緒だ)
 敬介を深夜襲った時の目と…。
 敬介の胸の中を一筋の光が針のように走り抜ける。
「私をどうするつもり」
 霧子と同じ凛とした声で涼子が問う。敬介は、苦虫を噛み潰した顔になるのを必死で堪え、押し殺した声で問い返す。
「…【GOD】は一体何を企んでいる…?」
「答えると思う?」
 はっきりとした返事に、敬介は一瞬言葉を無くした。
「……何故だ…」
「貴方は敵」
「…………」
 ―――貴方は敵。
 涼子の声が敬介の中で木霊する。
(解っていた事じゃないか…。だが、それでも俺は―――)
 一度大きく息を吐き出すと、敬介は改めて涼子を見た。
「敵だろうと何だろうと答えてくれ。【GOD】は一体何を企んでいる?」
 知らず涼子を握っている手に力がこもる。
 涼子は一瞬苦痛に歪んだ表情をした後、敬介に微笑を見せた。それは、まるで親しい者に向ける笑顔のようで…―――、
(……え?)
 敬介は、笑顔の真意が解らず動揺した。黒真珠を連想させる涼子の瞳を覗き込む。
 本当は信じたかった。
 涼子は裏切ってなどいないと…。
 父親が殺された事に涼子―――恋人は関係ないのだと…。
 自分に銃を発砲した事には何か理由があるのだと…。
 信じたかった―――。
「涼子…」
 だが、
「…遅い」
「遅い?」
「まぁそう言うな。足止めご苦労だったな」
 不意に背後にあるドアから聞こえてきた声。
 背中が粟立つ。
 感情の波が敬介を襲う。
 勢い良く振り向いた敬介の瞳に、憎き敵の姿が映った。
「…ネプチューン…」
「早い再会だったな、神敬介」
「準備は?」
 と、涼子。
「完了だ。後は―――」
 ネプチューンの周りの空気が変わる。
 強烈な殺気が敬介を覆った。
「…っく…」
「神敬介―――嫌、Xライダー!お楽しみの時間だ!」

 

 

      *      *      *

 


 うっすらと、紺色の空が白くかすみだした。
「……もうすぐ朝だ…」
 甲板の上で城茂は呟く。規則正しく船を揺らす海を見下ろし、何度目かの嘆息をした。
(…遅い。…敬介さん大丈夫か?もしかせて―――)
 嫌な想像を追い払うように頭を振る。
 何もせずじっとしているのは性に合わない。やはり一緒に行くべきだった。…神敬介が何と言おうと。
「はぁ…でもあんな表情されちゃぁなぁ…」
 茂が又息を吐き出そうとした時、突然、何の前触れも無しに海面が泡立ちはじめた。
「な!?」
 驚く茂を他所に、泡はその量と範囲を増やし、茂が乗っている船さえも呑み込もうと大きく口を開いた。

 

 

      *      *      *

 


 一筋の汗が神敬介の頬を伝う。それはゆっくりと弧を描き、顎から冷ややかな床へと落ちて行った。
 たったそれだけの時間の中で、敬介は渦巻く心中を落ち着かせよう試みた。だが、それはあまり上手くいかず………
「さぁ!行くぞ神敬介!」
「………っ」
 神話怪人・ネプチューンが、手にした槍で仕掛けてきた得意の攻撃をかわす事に苦戦する。思うように身体が動かない。
「ははははははは!どうした神敬介!さっさとXライダーに変身したらどうだ!」
 ネプチューンが槍を薙ぎ払う。かわしきれず、敬介はその衝撃を左側面に食らった。痛みに顔が歪む。
「………ぐっ!…」
 だが、それでも槍を左腕で掴みネプチューンの動きを制限する。睨みあう二人。
(変身しなければ…―――)
「フン!」
 力を込め、ネプチューンは槍を引き抜いた。その力に合わせ槍を突き放すように押す。と、バランスを崩し、ネプチューンはよろめいた。その隙に部屋の奥まで移動し、敬介は変身ポーズをとる。
「セタップ!」
 眩い光が神敬介を覆う。部屋中に広がった光が収まる頃、銀の仮面に黒いマフラーをなびかせた仮面ライダーXが、万能武器ライドルを構えて立っていた。
 その姿を見て、ネプチューンは歓喜の声を漏らした。
「ははは…、ようやく変身したか。Xライダー!」
「行くぞ!ネプチューン!」
 Xとネプチューンは激突した!
 Xライダーは全速力でネプチューンに駆け寄り、その勢いを殺さぬよう、ライドル・スティックを怪人の顎に向かって突き出す。しかし、それは難なくかわされ、逆に、槍の不気味に輝く先端がXライダーを襲う。
「…っく!」
 状態を捻りそれをよけると、ネプチューンは息つく暇を与えず、太く大きな足を豪快に振った。
 鈍い音が動力ルームに木霊する。
 痛みに思わずXライダーの顔が歪む。しかし、その痛みを無理矢理呑み込み、怪人に連続の回し蹴りをいれる。これは交わしきれず、ネプチューンは顔に衝撃を食らった。
 しかし、それでこたえるネプテューンではない。
 再び鋭く槍を操り、Xライダーを襲う。
「ライドル・ロープ!」
 ネプチューンが突き出した槍を交わし、ライドル・ロープを巻きつけ、引っ張る。互いに睨みあい、ジリジリと円を描く。
「フンッ!」
 ネプチューンが力任せに槍を引いた。
 つんのめるように体勢を崩したXは、ネプチューンに突っ込む。それを槍で突こうとするネプチューン。
「とうっ!」
 Xは地面をけり、ネプチューンの脇をくぐりその攻撃をかわした。素早く体勢を整え、後ろからネプチューンのわき腹に蹴りを四発入れる。
「グッ…」
 よろけるネプチューン。
 すかさずライドルの『S』のボタンを押し、ライドルを握ったまま空中へ。ライドル・スティックを鉄棒のようにして大車輪のように回転。その勢いがついたままタイミングよく手を離し、飛び出した後、空中でX字を描くように体を開いてエネルギーを集中。前方宙返りから、やっと立ち上がったネプチューンへ…、
「Xキッ―――ク!」
「グワァァアアァァアァァア!」
 大絶叫と共に、再生神話怪人ネプチューンは、又仮面ライダーXによって倒された。
「………」
 ネプチューンの爆発で、動力ルームが照らされる。
 そして、勿論―――
「涼子…」
 オレンジ色に照らされたXライダーが振り返った時には、既に水木涼子の姿は無かった。
(……涼子さん…)
 Xライダーの胸中を、暗い闇が覆う。
 しかし、いつまでもそうしている暇は正義の戦士には無い。
 Xライダーは気を立て直すと、時限爆弾の残り時間を見た。ネプチューンとの戦いに大分時間を使ってしまい、とても時限爆弾を解除し、捕まっている人々を助け出す余裕は無い。
(…そう言えば、ここに来た時ネプチューンが言っていたな。…確か、涼子が『準備は』と聞いたのに対して『完了だ』と―――。完了と言う事は、誘拐された人達も既にこの基地から移動させられているという事か?)
 Xライダーはすぐさま動力ルームから通路へ走り出た。そこは静まり返っていて、人の気配は無い。
「…やはり…」
 通路を走りながら各部屋を覗く。人っ子一人いない。
「誰もいない。涼子さんとネプチューンは、俺を引き止めておく為の囮だったのか…」
 自分の愚かさに腹が立つ。
(いつまでたっても俺は…)
 とにかくここにいては危ない。Xライダーは脳内に、秘密基地の見取り図―――穴ぼこだらけだが―――を広げ、それを頼りに、脱出するべく逆方向へ走り出した。

 

 

 

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